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『谷村新司』と、世界三大テノールの『ホセ・カレーラス』
- 2011/02/25(Fri) -


NHKBSで再放送番組、谷村新司とホセ・カレーラスのトーク番組を観て感動しました!
今までは、世界三大テノール歌手で、バルセロナ・オリンピックの開会式で素晴らしい歌声を披露した人。
このくらいの知識しかありませんでしたが、今日の対談を観て、彼はバルセロア出身、
あのランブラスのリセウ劇場で歌っていたことなどを知ると、とても身近に感じました。

そして、幼い時の母の思い出の子守唄を聞いた時も、番組の中で実際に彼が歌ってくれました。
この子守唄、「聖母の子」というカタルーニャ地方の子守唄で、こちらも、先日偶然観た番組で、
同じバルセロナ出身のガウディも母の思い出として語っていました。

カレーラスの素晴らしいところは、
40歳で白血病に罹り、奇跡的に生還、復活
その経験から白血病財団を設立し、白血病撲滅に向けて活動を開始、
その活動の中で、白血病に罹っている多くの子供たちにも会い、
白血病から復帰した自分の姿を見てもらうことによって、
子供たちにも勇気と希望が与えられたらと・・・

「病気になったおかげで今の自分がある」と、素晴らしいですね!!

谷村さんだからこそできた質問の数々、全ての言葉に感動でした。

↓は Wikipediaからの抜粋

ホセ・カレーラス
スペインのカタルーニャ州バルセロナ生まれの著名なテノール歌手で、ヴェルディやプッチーニなどのオペラの名唱で知られる。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴとともに「三大テノール」演奏会に出演してひろく名声を得た(3人の中ではカレーラスが一番若い)。

生い立ち
カレーラスはバルセロナに生まれ、幼い頃から音楽的才能を現した。8歳でスペイン国立放送に出演、『女心の歌』(ヴェルディ)を歌って初めての公開の演奏を行った。11歳でバルセロナのリセウ大劇場でファリャの『ペドロ親方の人形芝居』のボーイソプラノ役の語り手と、プッチーニの『ボエーム』第二幕の子役を歌った。

病との戦い
1987年、キャリアの頂点にあったカレーラスは白血病の診断を受け、回復の可能性は10%であると宣言されたが、故郷バルセロナの病院で化学療法を受けた後、アメリカ・シアトルの病院に入院。近親者に適合する骨髄提供者がいなかったため、カレーラス自身の骨髄の自己移植が行われ、奇跡的に生還。歌手のキャリアに復活することができた。

1988年、カレーラスは白血病の研究と骨髄提供者の登録の支援事業に財政的支援を行う慈善活動のため「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した。

1990年代以降 1990年、世界中の何百万人もの人々は「三大テノール」がFIFAワールドカップイタリア大会の開会式で演奏するのを観た。これはもともとカレーラスの財団の寄金のために構想され、ドミンゴとパヴァロッティが仲間の復帰を歓迎するためでもあった。

1992年のバルセロナオリンピックでは音楽監督を務め、イギリスの歌手サラ・ブライトマンとのデュエットで同オリンピックのテーマソング「AMIGOS PARA SIEMPRE」を閉会式で見事に歌い上げ、観衆からの拍手の嵐に包まれた。カレーラスにとって故郷のバルセロナで行われたオリンピックにかかわれたことは、まさに白血病克服の「快気祝い」となった。ちなみに、バルセロナオリンピックでは「Josep Carreras」と表記されたが、これはバルセロナを含むカタルーニャ地方で話されるカタルーニャ語での表記である。
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沈まぬ太陽
- 2011/02/11(Fri) -
映画「沈まぬ太陽」のテレビ放送をまた観ました。
何度観ても感動、勇気を沢山頂きました。
最後のアフリカのシーンに、数年前に観たマサイマラ自然保護区の夕陽を思い出しました。
私も出来る限り・・・自分の信念に忠実、そして隣人、動物、植物・・・全てのものに優しく愛を持って、真っ直ぐ強く生き続けていこう・・・この映画からまたその勇気を沢山もらいました。感謝。
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アフリカの画像はこちらのデジブック 
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